度が過ぎた親孝行
こんな逸話がある。
ある日、世子が妻と宮殿で休んでいると、周囲で異様な熱気を感じた。起きあがってみると、宮殿が火事になっていた。
世子は落ちついて妻に逃げるように促すと、腰を落とした。
「この火事は継母の仕業だろう。親に死を望まれているなら、この場で死ぬことがせめてもの親孝行」
世子の「孝」は度が過ぎていた。
死を覚悟した世子だったが、外から必死に彼を呼ぶ声が聞こえた。それは、世子を思う中宗の叫びだった。世子はその声を聞くと、燃え盛る屋敷から逃げ出したという。
1544年、病状の悪化した中宗は56歳で崩御。世子の悲しみは深く、12代王・仁宗(インジョン)として即位しても、体調がずっと悪かった。
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文定(ムンジョン)王后に翻弄された明宗(ミョンジョン)!朝鮮王朝全史13