中宗に寄り添うチャングム
先の「朝鮮王朝実録」の記述の中で、中宗は「医員は宿直をやめて、提調も各自解散して帰っていい」と語っているのに、医女(チャングム)についての言及がない。それは引き続き「チャングムはそばにいるように」と暗黙に言っているのと同じだ。それほどチャングムは病床の中宗に付き添っていた。
ただし、主治医ではない。あくまでも主治医は男性の医官が務めていて、その補助的な役割をしていた。
さらに、「朝鮮王朝実録」の記述を見てみよう。
◆1544年11月11日の記述
「正午に医女が出てきて、『(殿下の)左手の脈は朝より少し浮いており、煩熱(熱が高くて胸が苦しい症状)が出て口が渇いています』と言った」
◆1544年11月12日の記述
朝、医女が出てきて、『昨夜、殿下には煩熱がおありのようでしたので、適切に処方いたしました』と言った。正午、医女が出てきて、『午前中に煩熱があって、井花水(夜明けに汲んだ井戸水)に蘇合元(漢方薬の一種)を入れて差し上げました』と言った」
(ページ3に続く)
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