中宗(チュンジョン)の最期まで付き添ったチャングム!(再読版)

中宗の最期

さらに、「朝鮮王朝実録」の記述は続く。

◆1544年11月13日の記述
医女が出てきて、『昨夜は二更(夜9時から11時の間)に少しお休みになられ、三更(夜11時から午前1時の間)には熱がひどくて、野人乾水(漢方薬の一種)をさしあげましたが、熱が下がりませんでした。昼から夕方まで、左手と右手の脈は昨日と変わりがありません』と言った」




それまでの文脈からして、「朝鮮王朝実録」に記載されている医女がチャングムをさすのは明らかだ。
本当にチャングムは中宗のそばにピタリと張りついていた。
中宗は1544年11月14日の午後から昏睡状態に陥り、11月15日の夕方に亡くなった。
診察と看病を続けたチャングムは、どれほど悲しんだことだろうか。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

康熙奉(カン・ヒボン)著『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(実業之日本社)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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