中宗の嘆き
端敬王后の身内には燕山君と深い関係の人が多かった。
高官たちは、燕山君一派の残党たちが端敬王后をかついで復讐をしかけてくることを極度に警戒した。
つまり、端敬王后が王妃の座にいると困るのだ。
当初は拒絶していた中宗だったが、それも長続きしなかった。
彼はクーデターを成功させた高官たちに、からっきし頭が上がらなかった。
ついに、中宗は高官たちの要求を呑まざるをえなくなってしまった。
それほど、中宗は初志貫徹ができない王であった。
端敬王后が王宮を去ったあと、中宗は悲しみにくれて、王宮の高い場所にひんぱんに上がっていった。
それは、端敬王后が住むあたりをながめるためだった。
そのことが都で話題になった。
端敬王后も中宗の嘆きを噂で知った。
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