1623年にクーデターで王宮を追われた光海君(クァンヘグン)。廃位になってしまった彼は、一家と共に江華島(カンファド)に流罪となった。その後、どうなったのだろうか。
斬首の危機
光海君がクーデターで王宮を追われた後、新しい王位には16代王・仁祖(インジョ)が就いた。この仁祖に対して執拗に光海君の斬首を主張したのが仁穆(インモク)王后だった。
仁穆王后は、光海君の父である14代王・宣祖(ソンジョ)の二番目の正室であり、光海君にとっては継母に当たっていた。
しかし、彼女が産んだ永昌大君(ヨンチャンデグン)は光海君の一派に命を奪われ、仁穆王后も娘の貞明(チョンミョン)公主と一緒に西宮(ソグン/現在の徳寿宮〔トクスグン〕)に幽閉されてしまった。
光海君をとことん恨んでいたのが仁穆王后である。それだけに、廃位となった光海君の斬首を強硬に主張した。
しかし、仁祖としては、先の国王を斬首すれば民衆の支持を絶対に得られないと考え、仁穆王后の願いを聞き入れなかった。
結局、光海君の一家は都からも近い江華島に流罪となったが、その後に悲惨な最期を遂げた人が多かった。
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光海君(クァンヘグン)と綾陽君(ヌンヤングン)と貞明(チョンミョン)公主
『華政(ファジョン)』解説!仁穆(インモク)王后に恨まれた光海君(クァンヘグン)