
文定王后について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)
典型的な悪女
嫌々国王になったうえに、愛する妻と離縁させられた中宗。彼の苦しみは募る一方であった。
そして、王としてどのような政治をすべきか悩んだ末に、中宗は趙光祖(チョ・グァンジョ)を頼るようになった。
趙光祖は頭脳明晰な高官で、儒教に基づいた王道政治を理想としていた。特別な理念を持たなかった中宗は、趙光祖の考え方に心から傾倒し、彼が目指す王道政治を実現しようとした。
しかし、あまりにも理想に純粋すぎたがゆえに、趙光祖の言動は多くの反発を生む結果となった。
ついに趙光祖は自決せざるを得なくなったのだが、めざす政治に失敗した中宗は心に深い傷を負ってしまった。
一方、中宗の二番目の正室であった章敬(チャンギョン)王后は、長男の仁宗(インジョン)を産んだ直後に亡くなってしまい、中宗は三番目の正室として文定(ムンジョン)王后を迎えた。
この女性は、悪行の限りを尽くした典型的な悪女であった。なにしろ、仁宗の暗殺を謀ったり、中宗の側室を陰謀で追放したり……。
まさに王宮の中でやりたい放題だった。(ページ3に続く)
仁宗(インジョン)を毒殺した文定(ムンジョン)王后!朝鮮王朝全史12
『七日の王妃』歴史解説!燕山君(ヨンサングン)と中宗(チュンジョン)と端敬(タンギョン)王后の運命