絶対に許せない夫
「夫婦仲は最悪だが、彼女の内助の功を忘れたふりをすることはできない」
それが、李芳遠が元敬王后を廃妃にしなかった理由だ。
妻の実家を滅ぼしたことは王朝の安泰のためにやむをえなかったとしても、「妻の高貴な身分まで奪うようなことをしてはいけない」と李芳遠は思い直したのである。
しかも、元敬王后は李芳遠の息子4人を産んでいた。そのことにも李芳遠は少なからず感謝の気持ちを持っていた。
この4人の息子の中で三男が忠寧(チュンニョン)であり、後に4代王・世宗(セジョン)となって李芳遠の後を継いだ。そして、ハングルを創設した偉大な王になったことは、歴史の事実が示す通りだ。
元敬王后は三男が1418年に王になったのを見届けて、その2年後に55歳で亡くなった。
夫との仲は険悪になってしまったが、息子たちに恵まれて、母親として穏やかな日々を過ごせたのかもしれない。
それでも、自分の実家を完全に滅ぼしてしまった李芳遠のことは、絶対に許せなかっただろうが……。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
イ・バンウォン/李芳遠は継母の神徳(シンドク)王后を一番憎んだ!