命を落とした死六臣
世祖が強引な手段で王位に就いたことに納得しない家臣たちは多かった。そこで彼らは端宗の復権を試みるのだが、王権強化を大義名分にした世祖によって、その多くが問答無用で処罰された。
そんな世祖に反発する人たちは多かった。
特に、才能豊かな6人の逸材たち……成三問(ソン・サムムン)、朴彭年(パク・ペンニョン)、李塏(イ・ゲ)、河緯地(ハ・ウィジ)、柳誠源(ユ・ソンウォン)、兪応孚(ユ・ウンブ)たち6人は世祖を殺すクーデターを計画した。
「首陽は世宗様のご遺志を無視した反逆者であり、我らが従うべきは主上(チュサン/端宗のこと)だけである!」
こう唱える彼らは成三問の父である成勝(ソンスン)と共に、端宗を復位させようとした。
しかし、クーデターは失敗して彼らは残虐な拷問を受けた。
優秀な人材をむざむざ殺すことを惜しんだ世祖は直々に、自分に忠誠を誓うように呼びかけた。それでも、忠義の徒である彼らは、甘い言葉にはつられず最後まで世祖を王と認めなかった。
世祖は特に成三問の才能を買っていて配下に入るように勧めたが、成三問は「忠臣は二君に仕えません!」と言い放って世祖を罵倒した。
怒った世祖は、成三問を残虐に処刑した。
結局、6人は命を落としたが、人々は彼らの忠誠心を讃えて「死六臣」と呼んだ。
世祖は自分に逆らう者たちを次々に処分したが、自身の王位を最も脅かすのは端宗だということに気づき、彼の位を庶民に降格させた後に殺してしまう。
あまりに非道な世祖であったが、政治的な統治力に優れており、朝鮮王朝初期の王権を確立している。
1468年、世祖は51歳で世を去った。王になりたいという野心を実現させた彼は、理性と暴虐の二面を持つ奇怪な王だった。
文=慎虎俊(シン・ホジュン)
光宗(クァンジョン)はどんな王だったのか/三国高麗国王列伝8