悪の手先「鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)」!悪女たちの朝鮮王朝1

本当に頼もしい手先

ネズミを発見した女官や、発見された場所の近くで働いていた者たちが厳しい尋問を受けたが、誰も口を割らなかった。その最中に中宗の母の貞顕(チョンヒョン)王后が重大な発言をした。
「東宮の犯人はわからないが、大殿の件は敬嬪の仕業に違いない」
王室の最長老が容疑者を特定したのである。
敬嬪・朴氏はまったく身に覚えがなかったが、大妃(王の母)である貞顕王后の発言は重く受け止められた。中宗の取り成しがあったにもかかわらず敬嬪・朴氏は罪をかぶせられ、王宮から追放された。福城君も同じ運命であった。
結果的に「灼鼠の変」によって、一番得をしたのは政敵を追い出すことができた文定王后である。彼女が騒動の首謀者であったことは間違いないし、実行役を担ったのが鄭蘭貞だった。




この鄭蘭貞は、文定王后にとって本当に頼もしい手先だった。「灼鼠の変」を手始めに、鄭蘭貞は文定王后が仕掛けた陰謀を次々に成功させた。その甲斐があって、文定王后は自分の息子を王位につけることができ、その後は女帝のように君臨した。
鄭蘭貞も尹元衡の妾に甘んじるつもりはなかった。彼女は尹元衡の正妻を毒殺し、その後釜に座った。
文定王后の弟として尹元衡は大出世を果たし、鄭蘭貞も妻として優雅な暮らしを享受したが、それはいつまでも続かなかった。
1565年に文定王后が亡くなり、尹元衡と鄭蘭貞は後ろ盾を失った。途端に、それまでの横暴なふるまいが糾弾された。人からさんざん恨みを買っていた2人は結局は逃亡の末に自害せざるえなかった。

粛宗(スクチョン)に愛された張禧嬪(チャン・ヒビン)/悪女たちの朝鮮王朝2

仁粋(インス)大妃の脅迫!朝鮮王朝の重大な事件簿3

張禧嬪(チャン・ヒビン)の死罪!朝鮮王朝の重大な事件簿6

明聖(ミョンソン)王后の溺愛!朝鮮王朝の重大な事件簿12

文=康 熙奉(カン ヒボン)
出典=『歴史を作るのは男より女! 悪女たちの朝鮮王朝』(双葉社発行)

悪女たちの朝鮮王朝0520入稿
『歴史を作るのは男より女! 悪女たちの朝鮮王朝』(双葉社発行)

『歴史を作るのは男より女! 悪女たちの朝鮮王朝』

固定ページ:
1 2

3

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る