姑の陰謀で死罪に!
反省して謹慎生活を送る尹氏の姿を見届けた使者は、そのとおりに報告しようとしたのだが、成宗のところに行く途中で女官につかまり、仁粋大妃の前に引っ張りだされた。
仁粋大妃は強い口調で言った。
「『あの女が反省もなく高慢な暮らしをしている』と殿下に伝えよ。さもなくば……」
そんなふうに脅かされた使者は、仁粋大妃の言うとおりに成宗に報告した。
激怒した成宗は尹氏に死罪を申し渡した。それは仁粋大妃の狙いどおりだったが、尹氏にはあまりに過酷な運命となった。
このとき、成宗と尹氏との間には6歳になる息子がいた。
成宗にとっては長男である。
死罪になった廃妃が産んだ子供を次の王にすることに高官たちの抵抗があったのだが、儒教社会ではやはり長男が重んじられる。この長男は成宗が亡くなったあと、10代王・燕山君(ヨンサングン)として即位した。
燕山君は母が死罪なったことを知らないで育った。
なにしろ、成宗が「尹氏のことは絶対に話してはいけない」と釘をさしていたからだ。しかし、出世に目がくらんだ奸臣(かんしん)が燕山君にすべての真相をばらしてしまい、燕山君は逆上した。
暴君として悪名高い彼は、母の死に関係した者たちを大虐殺した。
67歳になっていた仁粋大妃は、出来の悪い孫を叱った。
しかし、もともと燕山君は母が死んだのも仁粋大妃のせいだと思い込んでいる。彼は冷静さを失い、仁粋大妃に頭突きをくらわしてしまった。このときのケガがもとで、仁粋大妃は1504年に亡くなった。
これで燕山君は母の仇を討ったつもりだったのだろうか。しかし、暴虐のかぎりをつくす燕山君は、1506年にクーデターで王宮を追われた。亡くなったのは、廃位になってから2カ月後だった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
〔仁粋(インス)大妃の命を縮めたのが孫の燕山君(ヨンサングン)だった〕
燕山君(ヨンサングン)と仁粋(インス)大妃!祖母と孫の不幸な関係
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。