文定(ムンジョン)王后はなぜ大妃(テビ)になれたのか?

もし大妃になっていなければ

文定王后も1534年に中宗の二男を産んでいるが、長男が即位しただけに、二男に王位がまわってくることは難しかった。
ところが、仁宗が即位して8カ月で急死してしまった。これには、「文定王后が毒殺したのではないか」という疑いがあり、その可能性もかなり高い。結果的に、文定王后としては、次から次へと自分に有利な状況になっていって、最終的に大妃まで上りつめたのである。




しかし、その裏では、手先となった鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)や、実弟の尹元衡(ユン・ウォニョン)が悪行を重ねていた。その末に、文定王后は大妃になれたのだ。
大妃となった彼女は、自分の息子が幼くして王になったことで摂政を担い、私利私欲をあからさまにした悪政を続けた。
これが、朝鮮王朝にとってどれだけ不幸であったか。歴史に「もしも……」はありえないが、文定王后が大妃になっていなければ、16世紀の朝鮮王朝も大混乱に陥ることはなかっただろう。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

文定王后について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著〔実業之日本社/900円+税〕)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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