「右」と「左」の二つあった
正式な官庁として整備されたのは、11代王・中宗(チュンジョン)の統治時代(1506~1544年)だったと言われている。
捕盗庁が担当していた地域は漢陽(ハニャン/現在のソウル)と京畿道(キョンギド)であった。そういう意味で日本に置き換えれば、捕盗庁は警視庁に該当する存在だったと言えるだろう。
捕盗庁は担当地域を「右」と「左」に分けていた。つまり、右捕盗庁と左捕盗庁があったのである。
役職を見てみよう。
右と左のそれぞれについて、大将(品階は従二品)が1人、従事官(品階は従五品)が3人、部長が4人、無料部長が26人、加設部長が12人という構成になっていた。(ページ3に続く)
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