1637年1月、朝鮮王朝は大軍で攻めてきた清に敗北し、16代王・仁祖(インジョ)は清の皇帝の前で土下座のように謝罪した。史上最悪の屈辱で、以後も朝鮮王朝は清に服従を強いられた。
人質となった王子たち
朝鮮王朝は清に莫大な賠償金を取られた。そればかりではなく、仁祖の3人の息子が清の人質となって瀋陽(しんよう)に送られた。
三男はすぐに帰国させてもらえたが、長男の昭顕(ソヒョン)世子と二男の鳳林(ポンニム)大君は長く人質生活を送らなければならなかった。
昭顕世子は妻の姜氏(カンシ)と一緒だった。
2人は軟禁生活を強いられたとはいえ、一応は朝鮮王朝の世継ぎ夫婦として遇され、相応の生活を享受することができた。(ページ2に続く)
仁祖(インジョ)はなぜ昭顕(ソヒョン)世子の一家を滅ぼしたのか