綾陽君(ヌンヤングン)/仁祖(インジョ)の生涯〔前編〕

清の大軍に攻められた

一緒にクーデターを成功させた同志が反乱を起こし、一時的に仁祖は都から避難するという苦難を味わった。
その乱はなんとか収束させたのだが、1627年には北方の異民族の後金に攻められてしまった。
朝鮮王朝は武力で後金に対抗することができず、仁祖は都の漢陽(ハニャン)を捨てて江華島(カンファド)に避難した。そのうえで、講和会議を重ねて後金の怒りを解こうとした。条件は後金を支持することだった。
当時、後金は中国大陸を支配する明と激しく争っており、本来は朝鮮王朝も明を宗主国のように崇めていたのだが、その方針を変更せざるをえなくなった。それを条件に、後金は大軍を引き揚げた。
しかし、仁祖は後金と交わした講和条件を守らなかった。




怒った後金は国号を清と変えた後、1636年12月に12万の大軍で再び攻めてきた。またもや仁祖は江華島に逃げようとしたが、すでに清の大軍が迫ってきており、漢陽の南側にある南漢(ナマン)山城に避難するのが精一杯だった。
1万3千人の兵と一緒に南漢山城で籠城した仁祖。その間に、清の大軍は漢陽で略奪と放火を繰り返した。
民衆は悲惨な状態になった。観念した仁祖は籠城をやめて、1637年1月に漢江(ハンガン)のほとりまで出てきて、清の皇帝の前で土下座のように謝罪した。
朝鮮王朝が始まって以来の屈辱だった。
そればかりではない。莫大な賠償金を課せられ、仁祖の息子3人は人質として清に連れていかれてしまった。
三男はすぐに帰されたが、長男で世子(セジャ)の昭顕(ソヒョン)と二男の鳳林(ポンニム)は長く清の瀋陽(しんよう)に軟禁されることになった。
「王がだらしないから、野蛮な国に支配されてしまったんだ」
民衆たちは口々に仁祖をののしった。(ページ3に続く)

綾陽君(ヌンヤングン)/仁祖(インジョ)の生涯〔後編〕

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