14代・宣祖(ソンジョ)の継妃であった仁穆王后。彼女は、宣祖の後を継いで即位した15代王・光海君によって、父親と息子の永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺され、自分も娘の貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)と一緒に西宮(ソグン/現在の徳寿宮〔トクスグン〕)に幽閉された。恨みは骨髄に達していた。そんな仁穆王后がついに復讐を果たす日がやってきた。
クーデター軍の完全勝利
仁穆王后の復讐を手助けしたのが、宣祖の孫で光海君の甥であった綾陽君(ヌンヤングン)だった。
彼も弟の綾昌君(ヌンチャングン)を光海君の一派によって殺されている。そういう意味では、綾陽君も光海君にとても強い私憤を持っていて、彼は同志を集めてクーデターを起こした。
それが、1623年3月13日だった。
光海君は油断していた。
虚をつかれた彼は、王宮から逃げ出すのが精一杯。結局、用意周到にクーデターを準備した綾陽君の完全な勝利となった。(ページ2に続く)
光海君(クァンヘグン)が仁穆(インモク)王后に復讐された日(後編)