朝鮮王朝人物列伝/第26回
朝鮮王朝時代に王の後継者を決める際に様々な争いがあった。7代王・世祖(セジョ)として即位した首陽大君(スヤンデグン)は、本来は二男で王になる資格がなかったが、王になることに対して強い野心を秘めていた。そこで、彼はとんでもないことを画策するのだが……。
王座を狙う野心家
朝鮮王朝7代王・世祖となった首陽大君は、ハングルを創製したことで有名な4代王・世宗(セジョン)の二男として生まれた人物だ。
朝鮮王朝時代は原則として長男が王の後継ぎになることが決まっていたため、世宗の後を継いだのは5代王・文宗(ムンジョン)だった。
首陽大君は野心家だが、自分が二男である以上、王になれないことは理解していた。しかし、兄の文宗は病床にふせることが多かったこともあり、即位してからわずか2年3カ月で世を去ってしまう。
その後を継いで6代王・端宗(タンジョン)となったのは11歳だった文宗の長男である。文宗は弟の首陽大君が政治的な野心を持っていることを心配して亡くなる前に、異民族の侵攻から国土を防衛した英雄の金宗瑞(キム・ジョンソ)と、領議政(ヨンイジョン/総理大臣)である皇甫仁(ファンボ・イン)に端宗の補佐を頼んだ。
その2人に敵意を抱いていた首陽大君は、「幼き王の補佐と称して権力を思うがままにするとは許さん。ここはやはり自分が王になるべきだ」と思っていた。
そんな彼の参謀になったのが、金宗瑞や皇甫仁が端宗の補佐をしていることに不満を抱いている韓明澮(ハン・ミョンフェ)と申叔舟(シン・スクチュ)だった。その他にも屈強な武人たちが首陽大君のもとに集まった。(ページ2に続く)