朝鮮王朝時代の始まり
1394年、李成桂は都を開城(ケソン)から漢陽(ハニャン/現在のソウル)に移して、基盤を固めた。その1年後の1395年には正宮である景福宮(キョンボックン)の建設を始めた。
順風満帆な国造りを進める李成桂だが、彼はすでに54歳で後継者の選定も急がなければならなかった。
当時、李成桂には先妻から6人、後妻から2人の計8人の息子がいた。誰もが、建国の功臣として活躍した先妻の息子から王を選ぶと思ったのだが、なんと李成桂はまだ幼い八男の芳碩(バンソク)を跡継ぎに決定した。
これには、先妻の息子たちからも大きな不満があがった。特に、もっとも活躍した五男の芳遠(バンウォン)は、怒りを露わにした。(ページ3に続く)