歴史

朝鮮王朝全史

都を捨てて逃げた宣祖(ソンジョ)!朝鮮王朝全史14

14代王・宣祖(ソンジョ/在位は1567~1608年)が即位してから25年間が経過した1592年は、朝鮮王朝建国200年の節目の年だった。この記念すべき年に隣国からやってきたのは、祝賀の使節ではなく、10万を越える大軍だった。壬辰倭乱(イム...
特選記事

ファン・ジニ(黄真伊)の人生!朝鮮王朝の女流詩人

16世紀前半の11代王・中宗(チュンジョン)の統治時代に、ファン・ジニ(黄真伊)は実在していたのだが、生まれた年も死んだ年もわかっていない。彼女はまた、その時代の著名な学者や風流人とかなり交流していたはずなのに、あまり記録が残っていない。そ...
六龍が飛ぶ

イ・バンウォン/李芳遠は妻の元敬(ウォンギョン)王后の一族を滅ぼした

李芳遠(イ・バンウォン)が1400年に3代王・太宗(テジョン)として即位すると、その妻は元敬(ウォンギョン)王后となった。朝鮮王朝のファーストレディになった元敬王后だが、その後に恐るべき事態が待っていた。夫婦仲が冷めきった1365年に生まれ...
六龍が飛ぶ

イ・バンウォン/李芳遠は継母の神徳(シンドク)王后を一番憎んだ!

朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)には2人の妻がいた。朝鮮王朝は一夫一婦制だが、李成桂が生まれ育った高麗王朝時代は一夫多妻制だったので、2人の妻を持つことが許されたのだ。李成桂が初代王になって故郷にいた第一夫人は神懿(シヌィ)王后となり...
六龍が飛ぶ

チョン・ドジョン/鄭道伝はどんな人物だったのか

1392年に開国した朝鮮王朝。この王朝の基盤を作ったと言われているのが、儒学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)であった。彼は悲惨な最期を遂げるのだが、果たしてどんな人生だったのだろうか。理想は儒教的な王道政治鄭道伝は、1337年に生まれている。...
六龍が飛ぶ

イ・バンウォン/李芳遠はどんな人物だったのか?

1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)。彼が初代王になる過程で、政敵の排除などで一番貢献した息子が五男の李芳遠(イ・バンウォン)だった。しかし、李成桂が後継者に指名したのは異母弟だった。第一次王子の乱李成桂(イ・ソンゲ)には合計...
六龍が飛ぶ

イ・ソンゲ/李成桂は、どんな人物だったのか?

朝鮮王朝を建国して初代王・太祖(テジョ)となった李成桂(イ・ソンゲ)。518年間も続いた長寿王朝の中で、まさに伝説上の国王に祭り上げられたが、実際にはどんな人物だったのだろうか。奇妙な夢李成桂(イ・ソンゲ)は、1335年に生まれた。彼の父は...
朝鮮王朝全史

文定(ムンジョン)王后に翻弄された明宗(ミョンジョン)!朝鮮王朝全史13

文定(ムンジョン)王后の息子の慶源(キョンウォン)は、1545年に13代王の明宗(ミョンジョン)として即位した。彼は学問を好み性格も温和だったが、まだ幼かったために強引な母に頭が上がらなかった。実権のほとんどは母の文定王后が握っていた。尹元...
朝鮮王朝全史

仁宗(インジョン)を毒殺した文定(ムンジョン)王后!朝鮮王朝全史12

1544年、朝鮮王朝の11代王・中宗(チュンジョン)は臣下たちの権力争いに苦しめられていた。そうした気苦労は中宗の体調を悪化させた。病に倒れた中宗は、長男に王位を譲った翌日に亡くなった(文定王后については、韓国時代劇の史実とフィクションの違...
歴史事典

朝鮮王朝の女官が所属した内命婦(ネミョンブ)とは?

どの王朝にもかならず裏を仕切る女官たちが存在し、厳しい権力闘争を繰り返してきた。日本では「大奥」、そして、朝鮮王朝では「内命婦(ネミョンブ)」である。朝鮮王朝の女官たちの組織をのぞいてみれば……。儒教理念を土台とした女官制度中国の歴代王朝も...
朝鮮王朝全史

中宗(チュンジョン)と趙光祖(チョ・グァンジョ)!朝鮮王朝全史11

1506年に即位した中宗(チュンジン)は、燕山君が行なった悪政を正すことに全力を注いでいった。まず、伝統的な学び舎である成均館(ソンギュングァン)の復活を急ぎ、虐殺事件によって被害を受けた人たちの名誉を回復させた。同時に、燕山君がないがしろ...
朝鮮王朝全史

中宗(チュンジョン)が即位!朝鮮王朝全史10

多くの血が流れた「甲午士禍」が終わった後の宮中は、無残な荒野のようだった。二つの虐殺事件の後、燕山君(ヨンサングン)の暴政はさらに悪化していき、庶民の暮らしは貧窮を極めた。国家の一大事庶民の暮らしが悪化しても、女遊びと酒宴に明け暮れる燕山君...
雲が描いた月明り

イ・ヨン(孝明世子〔ヒョミョンセジャ〕)はどんな人だったのか?

『雲が描いた月明り』で主人公になっていたイ・ヨンは歴史上では孝明(ヒョミョン)世子という名でよく知られている。聡明で名君になる素質が十分だったのに、彼の才能が日の目を見ることはなかった。なぜ、そうだったのか。(adsbygoogle = w...
朝鮮王朝全史

母の死の真相を知った燕山君(ヨンサングン)!朝鮮王朝全史9

王が絶対的な権力を持つ朝鮮王朝では、王が名君ならば平穏な時代が流れ、暴君ならば混乱をきわめた。10代王の燕山君(ヨンサングン)は最悪の暴君であり、朝鮮王朝がもっとも血に染まった時代だ。燕山君を嫌う臣下たち1494年に即位した燕山君は、王政を...
朝鮮王朝全史

最悪の暴君だった燕山君(ヨンサングン)!朝鮮王朝全史8

1494年、惜しまれながら9代王の成宗(ソンジョン)がこの世を去った。次の王に就いたのは、斉献王后が産んだ王子で18歳だった。この王が10代王の燕山君(ヨンサングン)である。少年時代の燕山君燕山君は幼くして母を失ったために、母の温もりを知ら...
朝鮮王朝全史

斉献(チェホン)王后を廃妃にした成宗(ソンジョン)!朝鮮王朝全史7

成人して親政を始めた9代王の成宗(ソンジョン)は、王権を自分の手に戻すため奮闘した。そんな彼の初めての仕事は、王になる前に亡くなった父の懿敬(ウィギョン)に王の尊号を贈ることだった。本格的な王道政治「父上は若くして亡くならなければ立派な王に...
時代劇の登場人物

英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)に確執が生まれた日

1735年に生まれた思悼世子(サドセジャ)は神童と呼ばれた。喜んだ父の英祖(ヨンジョ)は、思悼世子が10歳のときから政治の表舞台にデビューさせた。これがいけなかった。当時の主流派閥は老論派(ノロンパ)だったが、思悼世子は老論派を批判してしま...
時代劇の登場人物

これが光海君(クァンヘグン)という国王だ!

1623年3月12日の明け方、仁祖(インジョ)に統率された1000人あまりのクーデター軍が王宮を襲い、光海君は王の座から追放された。そのとき、クーデター軍は光海君の罪状を4つ掲げた。それが、反乱を起こした大義名分になったのだ。王宮の再建は必...