王の座を奪った世祖(セジョ)はどんな人生を歩んだのか

時代劇の登場人物
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悲劇に見舞われた世祖

これまでのことを見ると、世祖に対して悪いイメージしか感じられないが、政治的に彼は有能だった。制度の改革を行なったり、王権を徹底的に強化した。さらには、朝鮮王朝の基本法典の編纂を行なっている。
そんな世祖だが、晩年には次々と悲劇に見舞われた。
彼には息子が2人いた。長男の懿敬(ウィギョン)と二男の睿宗(イェジョン)である。
懿敬(ウィギョン)は長男として世子(セジャ/国王の正式な後継者)に指名されたが、19歳という若さで早世してしまった。
その後、世祖は皮膚病に苦しんだ末に1468年に世を去った。




父の後を継いで8代王として即位したのが二男の睿宗だが、彼も兄と同じ19歳で亡くなってしまう。
2人の息子を10代で亡くした世祖。因果応報と言われても仕方がない。

文=康 大地(コウ ダイチ)

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