息子の文宗(ムンジョン)を案じて世を去った世宗(セジョン)!

時代劇の登場人物
ソウルの中心部にある世宗の像
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世宗の願い

病弱な面が目立つ世子だが、実は学者も顔負けの博学だった。彼は1414年に生まれているが、成人後にはすぐれた政治手腕を見せて、晩年に病床につくことが多かった世宗を見事に補佐している。
それだけに、将来的には名君となることが期待されていた。
1450年、病が深刻になった世宗は側近を集めて一つの願いを託した。
「余は死期が近い。世子も丈夫ではないので長生きできるとはかぎらない。もしも王位継承問題で騒動が起きたときには、しっかり治めてくれ」
世宗の願いは悲痛だった。
その背景には、王位への執着を捨てない首陽大君の姿があった。
世宗が亡くなったあと、世子が5代王・文宗(ムンジョン)として即位した。




文宗は、統治能力が高い国王であったのだが、からだが丈夫ではなかった。それによって、後には世宗が心配していた王位継承問題が勃発してしまったのである。

構成=「歴史カン・ヒボン」編集部

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