罵声を浴びた仁祖(インジョ)

時代劇の登場人物
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王の評判は散々

朝鮮王朝は本当にみじめでした。
まず、都の南側を流れる漢江(ハンガン)のほとりで、仁祖は清の皇帝の前で頭を地面にこするようにして謝罪しました。ここまで王が屈辱にまみれたのは、建国以来一度もなかったことです。
それだけではありません。莫大な賠償金を課されたうえに、仁祖の息子3人は人質として清に連れていかれました。その中には世子になっていた長男の昭顕(ソヒョン)もいました。世継ぎが外国の人質になるほどですから尋常ではありません。仁祖はひどく落胆しました。
しかし、もっと怒り心頭だったのが一般の庶民です。
「王が乱れた生活に明け暮れて、国をしっかり守らないから、こんなことになるんだ」
そんな罵声が都に満ちていました。




清に屈伏した責任はすべて仁祖に向けられたわけです。
「こんなことなら、光海君がそのまま王だったら良かったのに……」
そう思った庶民も多かったことでしょう。
仁祖の評判は散々でした。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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