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タグ:朝鮮王朝
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イ・サンこと正祖(チョンジョ)はどのように亡くなったのか
それは1800年6月のことだった。正祖(チョンジョ)は急な発熱で体調を崩した。からだに大きな腫れ物もできた。その痛みに苦しみながら、彼は薬を調合する現場を自ら視察している。毒殺されることを極度に警戒し… -
李芳遠(イ・バンウォン)は太宗(テジョン)になって何をしたのか?
朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)は初代王の太祖(テジョ)となったが、彼は神懿(シヌィ)王后との間に6男2女をもうけている。男子は上から、芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳毅(バンイ)、芳幹(バ… -
仁祖(インジョ)と貴人(キイン)・趙氏(チョシ)が捏造した毒アワビ事件!(再読版)
朝鮮王朝の16代王・仁祖(インジョ)が食べるアワビの焼き物に毒が盛られていることが発覚したのは1646年1月3日のことだった。宮中は大騒ぎになった。それはそうだろう。王の食卓にのぼる料理に毒を盛るとい… -
『不滅の恋人』のイ・ガンのモデルは首陽大君(スヤンデグン/世祖〔セジョ〕)!
5代王の文宗(ムンジョン)が1452年に亡くなり、11歳だった長男の端宗(タンジョン)が6代王となった。宮中では幼い端宗を籠絡しようと水面下での権力闘争が繰り広げられた。そんな宮中で、ひときわ強い存在… -
英祖(ヨンジョ)!一番長生きした国王(再読版)
朝鮮王朝19代王・粛宗(スクチョン)と側室の叔嬪・崔氏(スクビン・チェシ)との間に生まれた21代王・英祖(ヨンジョ)は、在位中に人事問題で大きな功績を上げたのだが……。 英祖… -
中宗(チュンジョン)はなぜ端敬(タンギョン)王后を守れなかったのか
燕山君(ヨンサングン)を廃位にするためのクーデターは1506年に起こりました。主導した高官たちには、大義名分が必要でした。いくらひどい王でも追放するとなると、大義名分が重要なのです。そこでクーデター軍… -
人質から帰った昭顕(ソヒョン)世子を仁祖(インジョ)はどう迎えた?
1636年12月、強大な清は大軍で朝鮮王朝を攻めた。朝鮮王朝はあえなく降伏。16代王の仁祖(インジョ)は、清の皇帝の前で頭を地面にこすりつけて謝罪した。ここまで王が屈辱を受けたのは、建国以来一度もなか… -
燕山君(ヨンサングン)の母は朝鮮王朝で初めて廃妃になった元王妃!
9代王の成宗(ソンジョン)は政治的には名君でしたが、女性問題で王宮を騒がせたことが何度もありました。その最たることが、燕山君(ヨンザングン)の生母が廃妃(ペビ)になった事件でした。 … -
文定(ムンジョン)王后!仁宗(インジョン)を毒殺した(?)冷血な継母(再読版)
11代王・中宗(チュンジョン)の治世は38年の長きに及んだが、晩年は病に苦しむようになった。そんな中宗を支えたのは、世子(後の12代王・仁宗〔インジョン〕)だった。世子は中宗の2番目の正室・章敬(チャ… -
中宗(チュンジョン)の最期まで付き添ったチャングム!(再読版)
『宮廷女官 チャングムの誓い』は、朝鮮王朝の11代王・中宗(チュンジョン)の統治時代に医女として活躍したチャングム(長今)が主人公になっていた。このチャングムは、中宗の最期まで診察と看病を続けていた。…