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タグ:文定王后
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文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が仕組んだ悪行(再読版)
朝鮮王朝時代に王宮で起こった奇怪な事件として有名な「灼鼠(しゃくそ)の変」。この事件は韓国時代劇でも何度か取り上げられたが、どの作品でも文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が共謀して起… -
文定(ムンジョン)王后!仁宗(インジョン)を毒殺した(?)冷血な継母(再読版)
11代王・中宗(チュンジョン)の治世は38年の長きに及んだが、晩年は病に苦しむようになった。そんな中宗を支えたのは、世子(後の12代王・仁宗〔インジョン〕)だった。世子は中宗の2番目の正室・章敬(チャ… -
中宗(チュンジョン)はなぜ文定(ムンジョン)王后の悪行を止めなかった?
『宮廷女官 チャングムの誓い』を始めとして、多くの時代劇に登場してくる中宗(チュンジョン)。この国王は、1506年から1544年まで38年間も王位に就いていたのだが、なぜ文定(ムンジョン)王后の悪行を… -
文定(ムンジョン)王后に翻弄された明宗(ミョンジョン)!朝鮮王朝全史13
文定(ムンジョン)王后の息子の慶源(キョンウォン)は、1545年に13代王の明宗(ミョンジョン)として即位した。彼は学問を好み性格も温和だったが、まだ幼かったために強引な母に頭が上がらなかった。実権の… -
仁宗(インジョン)を毒殺した文定(ムンジョン)王后!朝鮮王朝全史12
1544年、朝鮮王朝の11代王・中宗(チュンジョン)は臣下たちの権力争いに苦しめられていた。そうした気苦労は中宗の体調を悪化させた。病に倒れた中宗は、長男に王位を譲った翌日に亡くなった(文定王后につい… -
王の毒殺に関わった文定(ムンジョン)王后/悪女たちの朝鮮王朝4
11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后。彼女は自分が産んだ慶源大君(キョンウォンデグン)を王にするために、手段を選ばぬ悪行を重ねていた。特に、中宗の二番目の正室が産ん… -
文定(ムンジョン)王后はなぜ大妃(テビ)になれたのか?
本来であれば王妃にさえなれなかった女性が、最終的に大妃(テビ/国王の母)になって、朝鮮王朝を大混乱に陥れた。それが文定(ムンジョン)王后である。彼女はなぜ、絶対的に強い立場になれたのだろうか? … -
文定(ムンジョン)王后!強い野心を秘めた王妃
朝鮮王朝人物列伝/第14回 文定(ムンジョン)王后は「朝鮮王朝3大悪女」ではないが、自分の子を王にするためにやったことを見れば、彼女も典型的な悪女の1人である。文定王后は存命中にいったい何をしたのだろう…