過去の記事一覧

  • なるほど韓国1「韓国には老舗がほとんどない」

    韓国から親しい友人が来たので、浅草を案内したことがある。彼は大変な博学なのだが、浅草を歩いていて「韓国では考えられない」と首をかしげた。何かというと、あるソバ屋が創業百年を誇示する看板を掲げていたので…
  • 朝鮮王朝の後期になぜ王の子供が減ったのか

    朝鮮王朝時代の27人の王の平均寿命は、46歳である。贅沢な食事をとって栄養がたっぷりだった割には、平均寿命がそれほど長くない。やはり激務が応えたとしか言いようがない。 王の子供の数の比較 …
  • 韓国時代劇の流行はどう変わってきたか

    過去20年間、韓国時代劇は制作面で大いに発展してきました。その中で、制作の流れを見ていると、4つの大きな潮流がありました。それを順番に見ていきましょう。 長編大作の時期 1つ目の潮流は、1…
  • 朝鮮王朝の国王たちはこんな人だった!

    朝鮮王朝の王は、すべて李(イ)という姓を持った男子。本貫は全州(チョンジュ)である。この本貫というのは、一族の始祖の出身地のことで、その一族の流派を示す重要な身分保証となるものだ。わかりやすくいえば、…
  • 貞明公主の波乱万丈の人生10「晩年」

    20歳までの貞明公主は薄氷の上をおそるおそる歩くような日々を過ごした。そんな境遇に耐えたあとは、とてつもない土地を所有する大地主になった。まさに、彼女の人生は波瀾万丈だった。 …
  • 貞明公主の波乱万丈の人生9「善行」

    1636年12月、朝鮮王朝が強大な清に攻められたときだった。貞明公主は漢江(ハンガン)の河口の近くの江華島(カンファド)に避難しようとした。用意した船に財産をすべて載せて、貞明公主はまさに陸地を離れよ…
  • 貞明公主の波乱万丈の人生8「苦難」

    仁穆(インモク)王后が亡くなってから貞明公主(チョンミョンコンジュ)に急に冷たくなった16代王・仁祖(インジョ)。彼は貞明公主が呪詛(じゅそ)をしているという疑いを持ったが、周囲の説得によって貞明公主…
  • 貞明公主の波乱万丈の人生7「危機」

    仁穆(インモク)王后は、娘の貞明公主(チョンミョンコンジュ)の幸せを願いながら1632年に48歳で亡くなった。このときから、貞明公主を支援していたはずの16代王・仁祖(インジョ)の態度が変わってきた。それによって、彼…
  • 貞明公主の波乱万丈の人生6「結婚」

    1623年、光海君(クァンヘグン)を王宮から追放するクーデターが成功し、主導した綾陽君(ヌンヤングン)が16代王・仁祖(インジョ)として即位した。仁穆(インモク)王后と貞明公主(チョンミョンコンジュ)…
  • 貞明公主の波乱万丈の人生5「復活」

    1623年、光海君(クァンヘグン)を追放するクーデターが成功し、幽閉を解かれた仁穆(インモク)王后と貞明公主(チョンミョンコンジュ)。2人の地獄のような監禁生活は10年で終わった。このとき、貞明公主は…

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

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