- Home
- 過去の記事一覧
過去の記事一覧
-
貞明公主の波乱万丈の人生7「危機」
仁穆(インモク)王后は、娘の貞明公主(チョンミョンコンジュ)の幸せを願いながら1632年に48歳で亡くなった。このときから、貞明公主を支援していたはずの16代王・仁祖(インジョ)の態度が変わってきた。それによって、彼… -
貞明公主の波乱万丈の人生6「結婚」
1623年、光海君(クァンヘグン)を王宮から追放するクーデターが成功し、主導した綾陽君(ヌンヤングン)が16代王・仁祖(インジョ)として即位した。仁穆(インモク)王后と貞明公主(チョンミョンコンジュ)… -
貞明公主の波乱万丈の人生5「復活」
1623年、光海君(クァンヘグン)を追放するクーデターが成功し、幽閉を解かれた仁穆(インモク)王后と貞明公主(チョンミョンコンジュ)。2人の地獄のような監禁生活は10年で終わった。このとき、貞明公主は… -
貞明公主の波乱万丈の人生4「歓喜」
永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺された上に、西宮(ソグン)に幽閉された仁穆(インモク)王后と貞明公主(チョンミョンコンジュ)。悲しみのどん底に突き落とされた2人にとって、ついに恨みを晴らす日がやってき… -
貞明公主の波乱万丈の人生3「才能」
15代王・光海君(クァンヘグン)によって最愛の弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺された貞明(チョンミョン)公主。彼女自身も王女から庶民に格下げとなり、母の仁穆(インモク)王后と一緒に西宮(ソグン/現… -
貞明公主の波乱万丈の人生2「悲劇」
14代王・宣祖(ソンジョ)と仁穆(インモク)王后を両親にして1603年に生まれた貞明公主(チョンミョンコンジュ)。弟は3歳下の永昌大君(ヨンチャンデグン)だった。宣祖が1608年に亡くなり、異母兄の光… -
貞明公主の波乱万丈の人生1「誕生」
公主(コンジュ)というのは、王の正室が産んだ王女のことだ(王の側室が産んだ王女は翁主〔オンジュ〕と言う)。数多くの公主の中でも、貞明公主(チョンミョンコンジュ)は歴史的に有名だ。どんな女性だったのだろ… -
なぜ景福宮(キョンボックン)は273年間も放置されたのか?
景福宮(キョンボックン)は朝鮮王朝の建国当初から正宮だった。それほど重要な場所であったのに、1592年の豊臣軍の攻撃時に焼失してから、再建されずにずっと放置されたままだった。 [caption … -
仁祖(インジョ)と貴人(キイン)・趙氏(チョシ)が捏造した毒アワビ事件!
朝鮮王朝の16代王・仁祖(インジョ)が食べるアワビの焼き物に毒が盛られていることが発覚したのは1646年1月3日のことだった。宮中は大騒ぎになった。それはそうだろう。王の食卓にのぼる料理に毒を盛るとい… -
昭顕(ソヒョン)世子は人質から帰国直後に毒殺された
1637年1月、清の大軍に攻められて敗北した朝鮮王朝は、16代王・仁祖(インジョ)が屈辱的な謝罪をして滅亡を免れた。しかし、昭顕(ソヒョン)世子を初めとして仁祖の3人の息子が人質として清に送られた。そ…