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過去の記事一覧
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英祖(ヨンジョ)と正祖(チョンジョ)!激動の朝鮮王朝史8
1674年に即位した19代王・粛宗(スクチョン)は、商業の活性化をはかり庶民の生活向上に成果を発揮した。しかし、女性問題で度々トラブルを起こしている。 英祖の息子 粛宗は側… -
光海君(クァンヘグン)の廃位!激動の朝鮮王朝史7
1592年というと、朝鮮王朝が創設されてから200周年になる。この記念すべき年に朝鮮王朝は存亡の危機を迎えた。豊臣軍の朝鮮出兵があったからだ。そのときの王は14代王の宣祖(ソンジョ)だった。 … -
長今(チャングム)の登場!激動の朝鮮王朝史6
11代王の中宗(チュンジョン)は自分が王になりたくてなったわけではない。それなのに、クーデターを成功させた高官たちは、いきなり中宗に「妻と離縁してください」と要請してきた。妻は中宗の即位にともなって端… -
燕山君(ヨンサングン)の追放!激動の朝鮮王朝史5
9代王の成宗は、1485年に「経国大典」を完成させる。これは、朝鮮王朝の基本法典になった重要な法律書だ。成宗の功績は大変大きいと言える。その長男が悪名高い10代王の燕山君(ヨンサングン)である。 … -
非道な王位強奪事件!激動の朝鮮王朝史4
金宗瑞を倒した首陽大君は端宗の元を訪ねて、脅すような形で王命を発令させて高官を招集する。その際に、高官たちには1人ずつしか通れないような狭い門をわざと指定する。そうしておいて、味方はそのまま入れて、反… -
首陽(スヤン)大君の反乱!激動の朝鮮王朝史3
世宗が1450年に亡くなったあと、彼の長男の文宗(ムンジョン)が王位を継いだ。彼は諡(おくりな)に「文」という字をもらうくらい、学識に優れた王だった。しかし、身体が弱かった。世宗が亡くなるまでの数年間… -
王朝の基盤を作った太宗(テジョン)!激動の朝鮮王朝史2
高麗王朝は一夫多妻制だった。初代王の王建(ワン・ゴン)が30回も結婚した人だから、それも当然のことかもしれない。朝鮮王朝を建国した太祖は、もともと高麗王朝の武将だった。彼のように出世する人は、ほとんど… -
朝鮮王朝の建国!激動の朝鮮王朝史1
936年に朝鮮半島を統一した高麗(コリョ)王朝は、14世紀の後半でも健在だった。しかし、仏教国家の優遇策で政治的に権力を持った仏教僧侶が国政に介入して、国内が混乱していった。その中で、異民族の撃退など… -
警察官の朴文秀(パク・ムンス)
王は朝鮮王朝において絶大な権力を持つ。しかし、歴代の王にとって悩みの種だったのが、地方の役人たちの不正だった。悪徳役人が監視の目を盗んで私利私欲のために庶民の生活を圧迫することがよくあった。そうした悪… -
作家のホ・ギュン(許筠)
17世紀初め、史上初めてハングルで書かれた有名な小説が「洪吉童伝(ホンギルドンジョン)」である。筆者は、朝鮮王朝中期の文人のホ・ギュン(許筠/1569~1618年)だった。 体制への反逆者 …