- Home
- 過去の記事一覧
カテゴリー:時代劇の登場人物
-
燕山君の次に即位した中宗は王の器でなかった!
燕山君(ヨンサングン)はクーデターによって王位を剥奪され、江華島(カンファド)に島流しとなった。そして、2カ月後の1506年11月に31歳で人生を終えた。そんな暴君に代わって王位に就いたのが11代王の… -
朝鮮王朝でパッとしなかった5人の国王とは誰か?
朝鮮王朝には27人の国王がいたが、4代王・世宗(セジョン)や22代王・正祖(チョンジョ)のように尊敬される名君もいれば、その逆で、業績を残せなかった国王もいた。その中から5人の国王を選んでみた。 … -
仁穆王后はどうしても光海君を斬首にしたかった!
光海君は1608年に15代王として即位したが、翌年に兄の臨海君(イメグン)を不穏分子として配流の末に殺し、1614年には異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)の命も奪った。さらに、永昌大君の母の仁穆(イ… -
イ・サンの生涯は救いようがない最期で終わった!
正祖(チョンジョ)にとっては、息子の純祖(スンジョ)が10歳で貞純(チョンスン)王后の摂政を受けたことは誤算でしょう。しかし、この点で正祖は迂闊でした。なぜなら、もしも自分に何かあった場合に、純祖にど… -
最高峰から奈落の底に落ちた鄭蘭貞!
朝鮮王朝時代には厳しい身分制度があったのだが、最高峰とも言える品階(正一品と従一品)を持った官僚の妻には、「貞敬(チョンギョン)夫人」という封爵が与えられた。この封爵は、民間女性の最高位である。それを… -
明宗(ミョンジョン)はどんな国王だったのか
12代王・仁宗(インジョン)の後を継いで、13代王として即位した明宗(ミョンジョン)。彼は、自分が思うような政治ができなかったのだが、果たしてどんな人生を歩んだのだろうか。 世子の命を狙った… -
鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)!女帝の手先として暗躍した悪女
「朝鮮王朝三大悪女」の1人と言われる鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)〔?~1565年〕は、幼い頃に貧しい家に見切りをつけて奴生(キセン)になった。彼女の優れた容姿は尹元衝(ユン・ウォニョン)の目にとまり彼… -
首陽大君と安平大君の対立はなぜ起こったのか
4代王・世宗(セジョン)の二男が首陽大君(スヤンデグン)だった。儒学はもちろん、天文や兵学にも精通し、風水に関しても専門家以上の知識を持っていた。音楽理論と楽器演奏にも長けていた。まさに当代随一の学問… -
文定王后はどれほど仁宗に冷たかったのか
12代王の仁宗(インジョン)は1545年6月28日に深刻な病状に陥った。診察した侍医は「臓腑(五臓六腑)に損傷ができ、それが病気の元になっていると思われます」と診断結果を述べた。 … -
暴君だった燕山君の母も大変な王妃だった!
朝鮮王朝時代は一夫一婦制であり、国王もその制度をしっかり守っていた。つまり、在位中には正室が1人しかいなかった。その正室の中で、廃妃(ペビ)になった女性が何人もいる。特に、朝鮮王朝の歴史の中で一番最初…