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カテゴリー:時代劇の登場人物
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粛宗(スクチョン)に寵愛された張禧嬪(チャン・ヒビン)はついに王妃になった
1688年10月のことだった。 粛宗(スクチョン)の側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)は、ついに粛宗の息子を産んだ。2カ月半後、粛宗は、長男を「元子(ウォンジャ)」にしたいと言った。本来、王の正式な後継者は「世子(セジ… -
粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)をどのような経緯で側室にしたのか
19代王・粛宗(スクチョン)が張禧嬪に初めて会ったのは1680年だ。張禧嬪は通訳官の親戚の紹介で王宮に入ってきて女官になった。絶世の美女だったことは間違いないので、艶福家の粛宗は一目で気に入った。 朝鮮王朝三大悪女(張… -
中宗(チュンジョン)の妻で『七日の王妃』に描かれた端敬王后の人生は哀しい
暴君だった燕山君(ヨンサングン)は、1506年にクーデターで王宮を追放されている。その燕山君に代わって王になったのが異母弟の中宗(チュンジョン)だった。それにともなって、中宗の最愛の妻だった端敬(タンギョン)王后は、朝鮮… -
光海君(クァンヘグン)は仁祖(インジョ)が指摘したとおりの暴君だったのか
1623年、仁祖(インジョ)がクーデターを起こして光海君(クァンヘグン)が廃位となった。そのとき、仁祖は光海君の悪政を指摘した。それは、「兄弟たちを殺した」ということと「多くの土木工事を行なって民衆の負担を大きくした」と… -
英祖(ヨンジョ)は朝鮮王朝の国王で一番の長寿だった
朝鮮王朝における27人の王たちの平均寿命は、わずか46歳であった。王という重責に押し潰されるような日々は過酷を極め、「人生50年」と言われた寿命にすら届かぬ国王も多かった。日夜、政務に心を削られ、宮廷内の権謀術数にさらさ… -
光海君(クァンヘグン)はどのように生きたのか
光海君は14代王・宣祖(ソンジョ)の二男として1575年に生まれました。1592年に朝鮮王朝が豊臣軍に攻められたとき、光海君は武勲をあげています。一方、兄の臨海君(イメグン)は加藤清正軍の捕虜になると… -
ハン・ヒョジュ主演『トンイ』の史実で何が起きたのか/第3回「仁顕王后」
明聖王后は1683年に世を去った。まだ41歳だったが、我が子を溺愛する気持ちが死因の一つとなっている。 というのは、粛宗が重い病を患ったとき、お祓〔はら〕いの祈祷をした巫女〔みこ〕から“殿下には母様… -
ハン・ヒョジュ主演『トンイ』の史実で何が起きたのか/第2回「明聖王后」
粛宗〔スクチョン〕の母であった明聖〔ミョンソン〕王后は、張玉貞〔チャン・オクチョン〕の美貌に隠された野心を見逃さなかった。 「あの女は何か良からぬことを考えている。宮中にこのままいさせてはならぬ」 … -
ハン・ヒョジュ主演『トンイ』の史実で何が起きたのか/第1回「張玉貞」
1680年の秋、都の漢陽〔ハニャン〕(現在のソウル)では不思議な天気が続いていた。どんよりと曇った日が続いている中で、彗星のように見える白い帯状の気体が空に現れて、何日も消え去ることがなかった。 … -
朝鮮王朝の国王は何を食べていたのか
朝鮮王朝の王の食膳には、超豪華な料理がズラリと並ぶのが通例だった。「食べきれないのに、なぜあんなに多くの品数を出すのだろうか」と疑問に思えるが、あれは食べるための料理ではなかったのである。それでは何の…