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カテゴリー:日本と韓国の歴史
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中宗(チュンジョン)と趙光祖(チョ・グァンジョ)!朝鮮王朝全史11
1506年に即位した中宗(チュンジン)は、燕山君が行なった悪政を正すことに全力を注いでいった。まず、伝統的な学び舎である成均館(ソンギュングァン)の復活を急ぎ、虐殺事件によって被害を受けた人たちの名誉… -
中宗(チュンジョン)が即位!朝鮮王朝全史10
多くの血が流れた「甲午士禍」が終わった後の宮中は、無残な荒野のようだった。二つの虐殺事件の後、燕山君(ヨンサングン)の暴政はさらに悪化していき、庶民の暮らしは貧窮を極めた。 国家の一大事 … -
母の死の真相を知った燕山君(ヨンサングン)!朝鮮王朝全史9
王が絶対的な権力を持つ朝鮮王朝では、王が名君ならば平穏な時代が流れ、暴君ならば混乱をきわめた。10代王の燕山君(ヨンサングン)は最悪の暴君であり、朝鮮王朝がもっとも血に染まった時代だ。 燕山… -
最悪の暴君だった燕山君(ヨンサングン)!朝鮮王朝全史8
1494年、惜しまれながら9代王の成宗(ソンジョン)がこの世を去った。次の王に就いたのは、斉献王后が産んだ王子で18歳だった。この王が10代王の燕山君(ヨンサングン)である。 少年時代の燕山… -
斉献(チェホン)王后を廃妃にした成宗(ソンジョン)!朝鮮王朝全史7
成人して親政を始めた9代王の成宗(ソンジョン)は、王権を自分の手に戻すため奮闘した。そんな彼の初めての仕事は、王になる前に亡くなった父の懿敬(ウィギョン)に王の尊号を贈ることだった。 本格的… -
貞憙(チョンヒ)王后が選んだ成宗(ソンジョン)!朝鮮王朝全史6
1468年に7代王・世祖(セジョ)が世を去り、二男が王位を継いだ。それが8代王の睿宗(イェジョン)である。しかし、わずか19歳で亡くなり、朝鮮王朝の王位継承問題は混迷した。 … -
端宗(タンジョン)から王位を奪った世祖(セジョ)!朝鮮王朝全史5
1450年に名君の世宗(セジョン)が世を去り、長男の文宗(ムンジョン)が5代王として即位した。文宗は世宗の政治を上手く引き継ぎ安定した政治を行なう。しかし、その治世はわずか2年と短かった。病弱すぎたの… -
ハングルを作った世宗(セジョン)!朝鮮王朝全史4
朝鮮王朝で最高の名君と称賛される4代王・世宗(セジョン)。彼がそれほど尊敬されているのは、民族固有の文字「ハングル」を作ったからだ。それは本来「訓民正音(フンミンジョンウム)」と呼ばれたが、1443年… -
名君・世宗(セジョン)の誕生!朝鮮王朝全史3
3代王の太宗(テジョン)は1400年から1418年まで約18年間王位に就いたが、その間に4回も譲位(国王が王位を譲ること)騒動を起こした。これには、自身が王権を巡って血で血を洗う争いをしたことに対する… -
芳遠(バンウォン)が3代王の太宗(テジョン)となる!朝鮮王朝全史2
高麗王朝の最高実力者になった李成桂(イ・ソンゲ)は王を追放し、自分の都合のいいように動く恭譲王(コンヤンワン)を王位につけた。しかし、黒幕でいることよりも自ら王になりたいと思い、1392年に即位した。…