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カテゴリー:時代劇の登場人物
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思悼世子(サドセジャ)とイ・サンの麗しき親子愛!
それは1762年のことだった。思悼世子(サドセジャ)が米びつに閉じ込められて餓死する事件が起こった。このとき、思悼世子の息子はどのように動いたのか。時代劇『イ・サン』と史実の世界を比較してみよう。 … -
「悲劇の朝鮮王朝・三大世子(セジャ)」とは誰なのか?
世子(セジャ)と言えば、皇太子のことである。国王が死ねば次の国王になる王子たちであり、非常に重要な役割を担っていた。その世子の中で、3人の悲劇的な人たちを取り上げてみよう。 昭顕… -
世子の「イ・ソン」と言えば思悼世子(サドセジャ)のこと!
NHKが放送する『仮面の王 イ・ソン』には、ユ・スンホが演じる世子(セジャ)としてイ・ソンという人物が登場する。実際の歴史を見ると、朝鮮王朝の王家にいたイ・ソンと言えば、思悼世子(サドセジャ)のことで… -
思悼世子(サドセジャ)が餓死した後で妻の恵慶宮(ヘギョングン)はどうなった?
恵敬宮(ヘギョングン)は、21代王・英祖(ヨンジョ)の時代に領議政(ヨンイジョン/現在の総理大臣)を務めた洪鳳漢(ホン・ボンハン)の娘である。彼女は、思悼世子(サドセジャ)の妻としてどのように過ごした… -
中宗(チュンジョン)はどのようにして即位したのか
最悪の暴君と呼ばれた燕山君(ヨンサングン)は、1506年に高官たちが起こしたクーデターで王宮を追われた。彼の異母弟である晋城大君(チンソンデグン)は、高官たちから王の座に就くように説得を受けるが、それ… -
イ・サン(正祖)はどのようにして亡くなったのか
1800年6月、正祖の体調が悪化した。それでも彼は、薬を調合する現場を自ら視察している。彼自身が薬について詳しかったこともあるが、おそらく毒殺されることを極度に警戒していたものと思われる。 … -
偉大な光宗(クァンジョン)!高麗王朝の基盤を作った4代王
高麗王朝を建国した初代王の王建(ワン・ゴン)の息子として4代王となった光宗(クァンジョン)。彼はイ・ジュンギが主演した『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』の主人公になり、改めて業績がクローズアップ… -
世宗(セジョン)と正祖(チョンジョ)の実例!朝鮮王朝の王の食膳とは?
朝鮮王朝の王の食膳には、超豪華な料理がズラリと並ぶのが通例だった。「食べきれないのに、なぜあんなに多くの品数を出すのだろうか」と疑問に思えるが、あれは食べるための料理ではなかったのである。それでは何の… -
〔編集〕仁祖(インジョ)!何度も王宮から逃げ出した国王
1623年にクーデターを成功させて15代王・光海君(クァンヘグン)を廃位させた綾陽君(ヌンヤングン)。彼はすぐに16代王・仁祖(インジョ)として即位した。しかし、彼の在位中は苦労の連続だった。 … -
チャングム(長今)を生んだ朝鮮王朝の医女の制度とは?
韓国時代劇の傑作といえば、なんといっても『宮廷女官 チャングムの誓い』だ。このドラマには多くの医女が出てくる。彼女たちの存在は、どのような必然性から生まれたのだろうか。 医女は宴会にもかり出…