1623年、綾陽君(ヌンヤングン)と呼ばれていた仁祖が15代王・光海君をクーデターで廃位させた事件は、歴史的に「仁祖反正」と呼ばれている。「反正(パンジョン)」には、間違った政治をただす、という意味がある。つまり、「仁祖反正」は単なる反乱ではなく、政治的に正当性があるということだ。
中宗反正の場合
朝鮮王朝518年の間に、「反正」と呼ばれる事件は二度起きている。
最初は、10代王・燕山君(ヨンサングン)を廃位にして中宗(チュンジョン)が即位した1506年の「中宗反正」である。
この「反正」には明らかに正当性があった。
なにしろ、燕山君は史上最悪の暴君だったからだ。燕山君を廃位にしないと、朝鮮王朝は大変なことになっていた。
そういう意味で、「中宗反正」は正義のためのクーデターであった。(ページ2に続く)