日本は平安時代に漢字からひらがなとカタカタを派生させて、人々が発音する言葉をうまく表記する手段を得た。漢字だけだったら、とうてい日本人の発音を表記できなかっただろう。
表音文字がなかった時代
朝鮮半島は15世紀になっても、公式に採用されている文字は漢字だけで、人々が話す言葉を正確に表記することは難しかった。加えて、教育を受ける機会があまりない庶民は、難しい漢字を使いこなすことがなかなかできなかった。つまり、漢字を熟知する特権階級だけが文字を縦横に使いこなし、庶民は不便を強いられたのだ。
それを不憫に思ったのが、朝鮮王朝の4代王・世宗(セジョン)だった。彼は、漢字だけでなく、朝鮮半島の人々が簡単に覚えられる表音文字が必要だと考えた。
しかし、大反対も予測された。中国は周辺国家が独自の文字を持つことを警戒していたし、難解な漢字を使いこなすことで特権を享受していた高級官僚が抵抗することが目に見えていた。
そこで、世宗は極秘のプロジェクトを組織した。学識に優れた有能な若手学者を集めて言語の研究をさせたのである。その研究の中心にはいつも世宗がいた。
1443年、ようやく民族独自の文字が完成した。それが「訓民正音(フンミンジョンウム)」である。今のハングルのことだ。
この文字を公布するときに世宗は「学問がない人は言いたいことがあっても、思いどおりにその意思を表すことができない。これを不憫に思って新たに28字を作った」と述べている。
訓民正音の公布によって、朝鮮半島の人々は自分たちが発する言葉を正確に表記する言語を得た。まさに歴史が変わったのである。
(ページ2に続く)