王が絶対的な権力を持つ朝鮮王朝では、王が名君ならば平穏な時代が流れ、暴君ならば混乱をきわめた。10代王の燕山君(ヨンサングン)は最悪の暴君であり、朝鮮王朝がもっとも血に染まった時代だ。
燕山君を嫌う臣下たち
1494年に即位した燕山君は、王政を放棄して堕落した日々を送り、国の財源は日に日に衰えていった。そして、その帳尻を合わせるために、庶民は過酷な税金を取られてしまった。
当然ながら、人々は燕山君の治世の終了を願い、臣下たちは自分に被害が及ばぬよう口をつぐむばかりであった。
やがて燕山君に露骨に不満を示す臣下たちも現れ、それを表す事件も起こった。
いつも通りの酒宴が行なわれる宮中で、李世佐(イ・セジャ)という高官が燕山君の服に酒をこぼしたことがあった。
「殿下、申し訳ありません。手元が狂ってしまいました」
李世佐は朝鮮王朝の名門中の名門の出身で、大臣の地位にいた。王の服を汚すなど本来なら許されない行為だが、その場にいた臣下たちは誰ひとり、李世佐をとがめなかった。それは、燕山君の王としての尊厳の低下を意味していていた。
なおさら、燕山君の怒りが凄まじかった。
「貴様ら、無礼を働いたこいつをなぜとがめない! この罪人をすぐとらえるのだ」
王命を受けた者たちは、しぶしぶ李世佐をとらえた。(ページ2に続く)