朝鮮王朝人物列伝/第2回
朝鮮王朝の歴史の中で一番の英雄は誰かと聞けば、李舜臣(イ・スンシン)の名前が多くあがるだろう。そのように、今でも韓国で尊敬を集める李舜臣とは……。
天才的な戦略家
李舜臣は1545年に名門の家に生まれた。文官の家系なのだが、彼は小さいころから戦の真似事をして喜ぶような子供だった。李舜臣は、27歳のときに武科(武官を選抜する試験)を受けたが、落馬してしまい不合格になってしまう。それから5年後、32歳のときに再び試験を受けて見事合格する。
李舜臣は武官として北方の国境警備など立派に仕事したが、性格があまりにも頑固であったがために誤解を生むことも多かった。それでも彼は腐ることなく、必死に職務を果たした。
李舜臣にとって転機となったのは全羅道(チョルラド)の水軍守備隊長として配属されたときだった。短期間で水軍の兵法を身につけた彼は、誰にもまねできないような戦略を立てた。
1590年、日本の軍勢が攻めてくる可能性があると噂されるようになった。朝鮮王朝側は、まず海の守りを固める必要があると感じ、水軍指令基地で大幅な人事異動を行なった。その際に、李舜臣は全羅道の水軍基地の司令官に任命されたのである。(ページ2に続く)