朝鮮王朝の五大偉人!

 

朝鮮王朝の五大偉人といえば、ハングルを作った世宗(セジョン)、儒学の大家の李退渓(イ・テゲ)、救国の英雄の李舜臣(イ・スンシン)、『東医宝鑑』を書いた許浚(ホ・ジュン)、朝鮮王朝後期の名君の正祖(チョンジョ)である。




朝鮮王朝前期の3人

◆世宗(セジョン)
〔1397~1450年〕
4代王で在位は1418~1450年。韓国の小学校の校庭にかならず銅像があるほどで、朝鮮王朝最高の聖君と評される。幼い頃から読書が好きで、病気になっても本だけは離さなかったと言われる。王に就いてからは善政を行ない、民族固有の文字である“ハングル”の創製を主導。多くの優秀な学者を育てたことでも功績が大きい。

◆李退渓(イ・テゲ)
〔1501~1570年〕
朝鮮王朝時代の儒学の大家で、その名声は日本にまでとどろいた。李退渓が亡くなったとき、14代王・宣祖(ソンジョ)は3日間喪に服したという。それほど彼の学説に傾倒していた。現在の韓国では千ウォン紙幣の肖像画になっている。




◆李舜臣(イ・スンシン)
〔1545~1598年〕
世界の海戦史の中でも、“天才的な戦略家”として著名。豊臣軍との戦いでは、亀甲船を操って連戦連勝。1598年、最後の決戦で流れ弾が当たって戦死した。現在も韓国では“救国の英雄”として絶大な尊敬を集めている。

◆許浚(ホ・ジュン)
〔1546~1615年〕
14代王・宣祖(ソンジョ)の主治医を務めた。宣祖が亡くなったときに処罰されたが、時間に余裕ができたことで研究と執筆に没頭し、1610年に『東医宝鑑』を完成させた。この医学書は400年後の今でも東洋医学の医師が参考にするほどの名著。韓国は2009年にこの『東医宝鑑』をユネスコの世界記録遺産に登録している。

◆正祖(チョンジョ)
〔1752~1800年〕
22代王で、在位は1776~1800年。たぐいまれな知性と教養を持ち、奎章閣(キュジャンガク)という王室図書館を拠点に様々な政治改革を行なって成果をあげた。
まさに、朝鮮王朝の後期を代表する名君だった。また、米びつの中で餓死するという非業の死をとげた父(思悼〔サド〕世子)の名誉回復にも力を注いだ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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