光海君は兄弟同士の争いを経て国王になった!

 

わずか2歳では国王になれない

宣祖としても、側室が産んだ王子よりも正室が産んだ王子を後継者に指名したいという欲があった。
実際、彼はその意向を側近に伝えている。
宣祖がもっと長生きしていれば、次の王には永昌大君が選ばれていたはずだ。しかし、宣祖は1608年に亡くなってしまった。
そのとき、永昌大君はわずか2歳。いくら嫡子とはいえ、満足に言葉もしゃべれない2歳で王になるのは無理だ。
そんな事情があって、光海君が宣祖の後を継いで15代王になった。
彼の統治は1623年までだった。仁祖(インジョ)が起こしたクーデターで王宮を追放されてしまったからだ。




1608年から1623年までの15年間、政治だけに焦点を当てると、光海君は名君にも匹敵する手腕を発揮している。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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