庶民の暮らしを考えていた王
大同法では、大地主ほど税負担が大きくなり、小作農など土地をほとんど持たない人の税負担が軽くなります。
今で言うと、富裕者から多めに税をとり、所得が低い人は税を軽くするという、庶民にとってありがたい法律でした。
光海君は大同法を、都があった京畿道(キョンギド)から実施します。なぜかというと、この地域が貢納の代納制度の弊害が一番大きかったからです。
光海君は大同法の導入に積極的で、この点を見ると庶民のことを考えていた王ということになります。
光海君が国王の座にずっと就いていたら、大同法が全国的に実施されて庶民の暮らしにいい影響が及んだはずですが、彼は1623年にクーデターによって王位を追われ、島流しになりました。
次の王に就いたのは、クーデターを成功させた仁祖(インジョ)です。彼は政治的に失敗ばかりでした。政治的には光海君のほうが、はるかに有能でした。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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