朝鮮王朝の27人の国王の中で評判が最悪なのはこの5人!

 

世宗(セジョン)や正祖(チョンジョ)のように名君としてあまりに有名な国王がいれば、その反対に、民衆からさげすまれた国王もいる。特に評判が悪かった5人の国王を取り上げてみよう。




民衆が嫌悪した3人の国王

◆世祖(セジョ)
〔1417~1468年〕
7代王。在位は1455~1468年。首陽大君(スヤンデグン)という名でも知られる。4代王・世宗(セジョン)の二男で、6代王・端宗(タンジョン)の叔父。大変な野心家で、結局は端宗を脅して王座を奪ってしまう。その後は、端宗を復位させようという動きを徹底的に封じ、それを計画していた官僚たちを根こそぎ惨殺した。さらに世祖は、端宗が生きていると復位の動きがやまないと警戒し、端宗を庶民に降格させたうえで死罪にした。これだけ非道なので、評判がいいわけがない。

◆燕山君(ヨンサングン)
〔1476~1506年〕
10代王。在位は1494~1506年。9代王・成宗(ソンジョン)の長男として生まれた。元来が粗暴な性格で、王朝最悪の暴君と言われた。側室の張緑水(チャン・ノクス)と一緒に退廃した生活を送り、王朝の金庫をカラにした。多くの人に怨まれ、1506年にクーデターによって王位を追われた。同年に流罪先の江華島(カンファド)で絶命した。




◆宣祖(ソンジョ)
〔1552~1608年〕
14代王。在位は1567~1608年。朝鮮王朝で初めて庶子出身の王となった。学問的には優れていたが、1592年に豊臣軍が攻めてきたとき、真っ先に都を逃げ出して、庶民から「なんと情けない国王なのか」と嘲笑を受けた。また、後継者問題でも火種を残してしまった。
(ページ2に続く)

世宗の願いをふみにじった世祖の王位強奪!

正史『朝鮮王朝実録』で極端に悪く書かれた燕山君(ヨンサングン)!

庶民から怨まれた14代王・宣祖(ソンジョ)はどんな人生を歩んだのか

仁祖の息子の孝宗と孫の顕宗はどんな王だった?

哲宗(チョルジョン)!教養のない王

固定ページ:

1

2

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る