不滅の李舜臣
朝鮮王朝の統治哲学は、王といえども間違っていれば臣下から諫言されてこれを正すべきだ、というものです。李舜臣も勇気を出して王に諫言しました。つまり、彼は出世だけを狙う腰巾着ではなかったのです。
しかし、李舜臣はあらぬ嫌疑をかけられて投獄されてしまいます。その間、能力不足の後任指揮官によって水軍は散々な状況になってしまい、「やはり李舜臣でなければ」との声が高まります。
李舜臣が嫌疑を晴らして戦場に復帰したときには、自分があれほど鍛えた水軍が壊滅的な状態になっていました。彼はそこから巧みな統率力で立て直して、再び強大な水軍を作りあげます。
1598年に豊臣秀吉が世を去り、豊臣軍は急いで退却しました。李舜臣は最後の総攻撃でも先頭に立ち、結果的に流れ弾に当たって命を落とします。この陣頭指揮による戦死も李舜臣の名声を“不滅”にしました。
平和な時代がそのまま続いていれば李舜臣の出番はなかったのでしょうが、時代のうねりは彼を放っておきませんでした。しかも、それからの英雄物語が完璧すぎます。
「李舜臣の前に李舜臣はなく、李舜臣の後に李舜臣はない」
これほどの名声を李舜臣は残しました。
庶民から尊敬されなかった国王・宣祖(ソンジョ)/朝鮮王朝人物列伝特選19