光海君(クァンヘグン)の「やむにやまれぬ人生」!

 

統治能力は高かった

宣祖が1608年に亡くなった。
実は、宣祖は「光海君に王位を譲る」という遺言を残したのだが、永昌大君を支持する一派がその遺言を握りつぶしてしまう。
ただ、永昌大君には弱みがあった。まだ2歳だったのだ。この幼さで王になるわけにはいかない。
結局、光海君が15代王になった。
しかし、即位後も激しい権力闘争が続いた。
まさに骨肉の争いで、光海君の派閥が臨海君を1609年に殺害し、1614年に永昌大君の命を奪った。
同時に、仁穆王后を幽閉して大妃(王の母)の身分を剥奪。結果的に、義理の母に対する光海君の仕打ちが、後に大きな怨みを買った。




しかし、統治能力だけで判断すると、光海君は名君に列せられても不思議でなかった。豊臣軍との戦いで荒廃した国土の復興に尽くして王宮を再建。国防を強化して異民族との外交でも成果をあげた。
しかし、人間の怨みだけはどうしようもない。復讐心は恐ろしいエネルギーとなって、対象の人物に襲いかかる。
(ページ3に続く)

知られざる光海君(クァンヘグン)の実像1「光海君の即位」

光海君(クァンヘグン)と臨海君(イメグン)!兄弟同士の骨肉の争い

光海君(クァンヘグン)への恨みを晴らした仁祖(インジョ)の復讐劇!

光海君(クァンヘグン)を廃位にした仁祖(インジョ)に正当性はあるのか

光海君(クァンヘグン)と仁穆(インモク)王后はなぜ激しく対立したのか

固定ページ:
1

2

3

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る