ハングルの創製
太宗は最高実力者にふさわしく、王になった後も朝鮮王朝の基盤を磐石に築く。そして、1418年に王位を三男に譲った。この三男こそが、朝鮮王朝最高の名君と呼ばれる世宗(セジョン)である。
世宗と言えば、今の韓国で一番尊敬されている歴史人物で、1万ウォン札の肖像画になっている。ここまで尊敬されるのは、民族独自の文字であるハングルを主導的に創製したからだ。
日本は平安時代にひらがなとカタカナを作っているので、それを自分たちが話す言葉の発音に合せて使ったが、朝鮮半島には15世紀になっても、正式な文字は漢字しかなかった。
漢字は難しいし、一般庶民は教育を受けないので漢字を書くことができない。それを不憫に思った世宗が、自分たちの発音を表記できる文字として学びやすいハングルを作ったのである。
ただ、ハングルも作った当時はあまり普及しなかった。特権階級の高官たちが普及を妨げたからだ。彼らは漢字をよく知ることによって、特権意識を維持していた。
むしろハングルが広まると、自分たちの利権が阻害されるおそれがあったのである。(第3回に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)
李芳遠(イ・バンウォン)は太宗(テジョン)になって何をしたのか?