後悔した英祖
英祖は、思悼世子が餓死した後に、息子を心から哀悼している。
彼は偏屈な性格ではあったが、ただ感情のおもむくままに思悼世子を米びつに閉じ込めたわけではない。英祖なりに、朝鮮王朝の行く末を心から案じて、やむを得ない行動に出たのである。
そんな英祖によって正祖は高く評価されていた。
王位継承をスムーズに行なうために、英祖は晩年に、正祖に代理聴政(テリチョンジョン/摂政のこと)をさせる方針を貫いた。
これは高官たちに大反対された。
しかし、英祖はどんな反対にも強気な姿勢で臨み、決して高官たちの思うようにはさせなかった。
その末に、正祖は22代王になれたのである。
52年間も王位を守り続けた英祖は、さらに、自分が一番期待する孫に朝鮮王朝の舵取りを委ねた。
正祖は朝鮮王朝屈指の名君となったが、英祖の「朝鮮王朝の王位継承を強く守る気持ち」が叶ってこその結果であった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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