既得権層の反発
光宗は科挙を導入して、家柄中心主義から人材中心主義に方向を転換した。これは効果的だった。
有能でやる気のある人たちが政治の表舞台に登場し、王朝はますます活性化されるようになった。
しかし、家柄がいい人たちにとって、科挙は迷惑このうえなかった。
奴婢按検法と科挙。光宗が取り入れた2つの画期的な法と制度は、既得権層の反発を呼んだ。
それでも、光宗は強気だった。
逆らう者たちを次々に投獄して、光宗は強い決意を見せた。
「王朝にとって豪族の存在が命取りになる。なにがなんでも、豪族の力を弱めなくてはならない」
光宗は不退転の覚悟で自分の政策を推進していった。
結果的に、光宗は名君として揺るぎない評価を得た。彼が、混沌としていた高麗王朝を安定に導いたのは確かだ。
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太祖(テジョ)と呼ばれた王建(ワン・ゴン)/高麗王朝人物列伝1