太祖(テジョ)と呼ばれた王建(ワン・ゴン)/高麗王朝人物列伝1

 

朝鮮半島で歴史的に太祖(テジョ)となったのは二人だ。高麗(コリョ)王朝を創建した王建(ワン・ゴン/877~943年)と、朝鮮(チョソン)王朝をつくった李成桂(イ・ソンゲ)である。今回は王建について取り上げた。




弓の名手

王建は、877年に開城(ケソン/当時は松岳〔ソンアク〕と呼ばれていた)で生まれた。誕生の1年前、父の王隆(ワン・ユン)は家を新築中だった。すると、そこを通りかかった有名な僧が王隆に言った。
「もっと大きな家を建てたらどうですか」
「なぜ大きな家を建てる必要が?」
「貧しい人を助けることができるかもしれません。そうすれば、大人物が生まれてきますよ。もし、男の子だったら『建』と名付ければいいでしょう」
誰もが尊敬する高僧にそう言われて、王隆も気が変わった。彼は豪族として財力もあったので、それをつぎこんで大邸宅をつくった。その翌年に男の子が生まれた。王隆は迷わず「建」と名付けた。
王建は、小さい頃から武芸と学問に励み、10歳にならずして鳥を弓で射るほどの名手となった。
成長したあと、王建は弓裔(クンイェ)の部下となった。弓裔は統一新羅時代の末期に後高句麗(のちに国名は「摩震(マジン)」、そして「泰封(テボン)」となった)を建国した人物だった。その下で王建は獅子奮迅の働きをした。次々と華々しい戦功をあげ、彼は913年に弓裔をしのぐほどの実力者になった。




一方の弓裔は、常軌を逸した暴君となり、王妃を殺し、国政を乱した。たまらずに王建は同志と一緒にクーデターを起こし、弓裔を追放した。自業自得というべきか、弓裔は逃亡の末に農夫によって鍬(くわ)や鋤(すき)で惨殺されてしまった。
(ページ2に続く)

簡潔に読む!韓国の歴史〔高麗王朝の歴史(前編)〕

簡潔に読む!韓国の歴史〔高麗王朝の歴史(後編)〕

王建(ワン・ゴン)/三国高麗国王列伝7

光宗(クァンジョン)とは誰なのか/高麗王朝人物列伝2

固定ページ:

1

2 3

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る