心労が積み重なっていた
1565年、文定王后が世を去った。
それは、悪政の終わりを意味していると思われた。
事実、明宗は新しい人材を登用して、文定王后の息がかかった奸臣たちを罷免した。追放された者の中には、文定王后の弟であった尹元衡(ユン・ウォニョン)もいた。彼は明宗にとって叔父であったが、悪政の象徴のような人物であり、新しい政治には邪魔となる存在だった。
こうして新しく民衆のための善政を始めた明宗。しかし、わずか2年で命が尽きてしまった。1567年に亡くなったときは、33歳の若さだった。
よほど心労が積み重なっていたのだろう。
文定王后の悪政に心を非常に痛めていた明宗は、結局は極度のストレスによって命を縮めたのである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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