王の頬をたたく母
成人した明宗は自ら政治を仕切るようになったが、ことあるごとに口をはさんできたのが文定王后だった。
彼女のやり方は露骨だった。
最初は文書で明宗に指図してくるのだが、明宗がそれに従わないときには、強引に王を呼びつけて叱責した。
ときには、王の頬をたたくことさえあった。
母親とはいえ、王に対してあまりに不敬だった。しかし、心優しき明宗は、最後には母の言葉を拒むことができなかった。
結局、文定王后は「陰の女帝」として私腹を肥やすための政治を続けていき、明宗はそのたびに悲嘆に暮れた。
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