チャングムが犯した失態
チャングムが初めて「朝鮮王朝実録」に登場したのは、1515年の3月だ。このときにチャングムは問題を起こしてしまう。
中宗の正室の章敬(チャンギョン)王后が子供(後の12代王・仁宗〔インジョン〕)を産んで、すぐに亡くなってしまったのだ。ここでチャングムは、産後に王妃の衣装を替えることをしなかった。王族が亡くなれば、その主治医が罪を問われることになる。つまりチャングムの犯した失態の罪も重かったのだ。
しかし、その後もチャングムは医女として働き続けた。これは、仁宗の出産を祝っての恩赦を貰ったものと推察できる。
以降もチャングムは「朝鮮王朝実録」に幾度か名前が載るが、そのたびに褒美をもらっていることからも、いかに優秀だったかがわかる。
長今は医女として、王の主治医の役割を任されていた。中宗は、最期まで自分の健康状態をチャングムに管理させるほど信頼していたのだ。