1468年に7代王・世祖(セジョ)が世を去り、二男が王位を継いだ。それが8代王の睿宗(イェジョン)である。しかし、わずか19歳で亡くなり、朝鮮王朝の王位継承問題は混迷した。
徐々に体調が悪化
世祖の長男は19歳で原因不明の死を遂げていた。さらに、二男も王位に就いてすぐに亡くなった。世祖の息子は2人とも19歳で命を落としたことになる。世祖は甥の端宗(タンジョン)から王位を奪った非道の王であったが、その祟(たた)りが息子に及んだと当時は噂された。
それにしても、睿宗(イェジョン)の早世は朝鮮王朝にとって痛手だった。
彼は生まれつき温和で能力も高く、早くから多くの信頼を得ていた。また、公私の区別が厳格で、彼の乳母が側近の犯した罪を許してもらえるよう嘆願しても、「王になった以上、私情で動くわけにはいかない。それは乳母であるお前の頼みでも同じだ」と突っぱねた。
そんな睿宗は、父親の世祖が病んだ時には自ら看病に努めるほどの孝行者だった。
「父上の膳と薬はすべて一度私が口をつけさせてもらおう。それが、死んだ兄上の代わりにできる唯一の親孝行なのだ」
その気持ちは高貴だとしても、昼夜を問わない看病は彼の体を徐々に蝕んでいった。また、最高統治者という国王の激務に追われた睿宗は、もともと良くなかった身体をさらに悪化させてしまった。
そんな彼を臣下たちは憂いの眼差しで見つめた。
「おからだが優れないご様子です。今はどうか休んで我らにお任せください」
そう言う臣下たちの不安をよそに睿宗は「ならぬ! 国にとって今が一番大事な時だ。私がしっかりせねば、父の覇業が無駄になってしまう。心配するな。私はいたって健康そのものだ」と言って、話を聞かなかった。(ページ2に続く)
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