貞憙(チョンヒ)王后が選んだ成宗(ソンジョン)!朝鮮王朝全史6

摂政となった祖母

さらに、貞憙王后は力説した。
「ご覧の通り、主上の忘れ形の斉安はまだ幼く、月山は生まれつき体が優れない。それに比べて者山は12歳と若いですが、立派な人柄です。亡き世祖様も者山のご気性をよく太祖様(初代王)になぞらえて褒めておりました。皆様いかがでしょう」
もはや貞憙王后の決定に異論を唱えられる人物はいなかった。
何よりも、貞憙王后が者山を王にしたかったのには特別な理由があった。




まず、月山と者山の兄弟は、世祖時代からの重鎮である韓明澮(ハン・ミョンフェ)の親族にあたる存在だったため、彼の協力を得るためには、兄弟のどちらかを王にしなければならなかった。韓明澮は世祖が王位につくために尽力した最大の功労者で、最高の権力も有していた。貞憙王后は彼の増長を恐れもしたが、それ以上に彼の防波堤としての役割を買ったのだ。
また、王が成人するまでの間、貞憙王后は王の後継人として権力を自由に使えるようになりたかった。
つまり、摂政がしたかったのだ。それを長くするために、月山よりも若い者山を王に就かせることを望んだ。
こうして者山は1469年、12歳で9代王の成宗(ソンジョン)となった。
もくろみ通り、成宗の祖母の貞憙王后は1469年から1476年までの7年間にわたって摂政を続けた。
その間、彼女と韓明澮は権力を一手に握った。成宗はそうした権力の乱用に関わることなく、日夜勉学に励み王としての徳を積んでいった。

文=慎虎俊(シン・ホジュン)

光宗(クァンジョン)はどんな王だったのか/三国高麗国王列伝8

光宗(クァンジョン)の栄光と苦悩!イ・ジュンギが演じた王の真実

光海君(クァンヘグン)は朝鮮王朝でどんな国王だったのか

固定ページ:
1 2

3

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る