第3回 北進南下で百済の領土を広げた王
百済13代王・近肖古王(クンチョゴワン)は、11代王・比流王(ピリュワン)の息子として生まれた。幼いときから聡明だった近肖古王は、父の期待を一身に背負い、346年に王に即位した。彼はいったいどのような王様だったのか?
全盛期を築いた王
近肖古王は、王になってからの30年の間に領土を広げ続け、百済の全盛期を築いた王と言われている。
即位した近肖古王は、周囲の小国を征服することに力を注いだ。それが済むと次は、朝鮮半島南西部、全羅島(チョルラド)一帯にある大小の部族に攻め入り、百済の影響下においた。
近肖古王の指揮の下で、朝鮮半島南西部を手中に収めた百済。次に目指したのは、高句麗が支配する北方の領土への進攻だった。百済と高句麗は何度も小競り合いを繰り返し、まさに一触即発の事態にまで陥った。
396年、高句麗は2万人あまりの軍を率いて、百済との国境へと進軍してきた。報告を受けた近肖古王は、高句麗に気付かれないように軍を派遣して奇襲作戦を行ない、5千人余の高句麗軍を生け捕りにした。(ページ2に続く)