第8回 叔父に王位を奪われた悲劇の王
朝鮮王朝の6代王であった端宗(タンジョン)。祖父が4代王・世宗(セジョン)で、父が5代王・文宗(ムンジョン)である。ともに学識にすぐれていた王として特に有名だった。
母の愛を知らずに育った
端宗は優秀な祖父と父の血を受け継いで、文治主義の王政を行なうのに十分な素養を持っていた。
しかし、彼は1452年に王位を継承したものの、3年後の1455年に叔父の首陽(スヤン)大君(世宗の次男で文宗の弟)に王位を奪われて、政治的な才能を発揮することができなかった。朝鮮王朝の歴代王は27人だが、端宗ほど悲劇に見舞われた王は他にいないのではないか。
そもそも、端宗は生まれたときから哀しみに包まれていた。彼を産んだ顕徳(ヒョンドク)王后は産後すぐに亡くなってしまい、端宗は母の愛を知らずに育った。このことが端宗の人生に暗い影を落とす。(ページ2に続く)